読書について考えてみた(2)
はじめに
勝手にシリーズ化してやってきたいと思いますが、今回はその第2回。
読書本の分類
読書に関する本を読んでいるうちに、
それらは大きく分けて論考系と技法系の2系統に分類できることが最近わかってきた。
- 論考系
→読書とはこうあるべきと定義付けたり、読書のあり方等を論評する系統。
さらに論考系は、帰納的論考系統と演繹的論考系統に分類できる。
→帰納的論考系:著者の経験に基づいたもの。体験型読書論。
→演繹的論考系:既存の事実や一般論から導かれたもの。理論型読書論。
- 技法系
→読書の方法論を紹介し、有益な読書テクニックを紹介する系統。
読んだ本
今回読んだ本は岡崎武志著の「読書の腕前」。
上記で勝手に読書に関する本を分類しましたが、
そこに当てはめるとすれば、『帰納的論考系』になります。
つまり、著者の体験や経験を元に、読書の良さ・メリットを紹介している1冊です。
要約
まず著者が考える読書の定義とは、
「読書=娯楽」であるということ。
前提として、そもそも読書について理屈づけする事自体ナンセンスである・・と。
と言いつつも、
著者が考える読書のメリットはおおまかに2つ。
1. コミュ力がつく
あくまで私の表現です。著書の言葉を借りれば「人間に対する理解力が深まる」。
著者曰く、
『本(小説、エッセイ等ジャンル問わず)は、著者や登場人物の思考、行動、性格といった人間の生きるためのエッセンスが凝縮されています。それも膨大な数の人間の。』
↓
『そして読み側はそれを知ろうと夢中になる。本の中で多くの 人間と出会う。』
↓
『それにより人間への考察力、つまり「他人を知る」スキルを磨ける。』
プロセスとしてはこんな感じ。
2. 自分が無知であることを認識する
当たり前ですが世の中は知らないことだらけで、それを少しでも知るために読書すると思います。
でも、本を読むというのは、
知らないことを知るだけでなく、自分が「無知」であることを自分に落とし込む作業でもあるわけですよと。
それは当たり前のようであまり認識しないものですかね。
「本を読む=知識を入れること」だと、どこかで自分の知識に満足して自分の成長への足枷にもなりかねない。著者はそれに対する警鐘を鳴らしているのかもしれません。
感想
「ツン読しかありえない」「読書に学歴はいるのか」等おそらく他の読書本には決して書かれないであろう、独自の視点で読書について書かれています。「必要に依っては本を破って必要な部分だけ保存する」という破天荒なエピソードもあり、参考になるかどうか別として単純に面白い。
一般的な読書という枠にとらわれない「読書」を感じることができた一冊でした。